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母は、楽天家で、激情型、感覚派人間である。

「おかあちゃんは、18歳から歳を取らへんねん」
とずっと、母はそう言っていた。

わたしが、18歳を超え、大人になって母を見迪士尼美語 價格ると、ほんとうに18歳でアタマがストップしていた。

良く言えば、天真爛漫、子供のよう。
悪く言えば、考えなし。自分のことだけしか見えない。

親は「手本」である必要はなく、「見本」であればよい。
この、わかりやすい「見本」に、我々家族は、悩まされ続けたことだろう。
姉の結婚の時に色々あって、母は18歳から少し精神年齢は否応なくアップさせられたようだが。

70歳を超えた、ある日、母は言った。
「おかあちゃん、このごろ、顔にシワが出てきたわ。どうしよう・・・」

わたしは、この言葉を聞いて、一瞬、言葉を失った。
自分をいくつだと思っているのだろう? この人は。
れっきとした、堂々の老女なのに。


人間の年齢と肉体、頭脳、精神は、それぞれリンクしているものである。
心身共に、若さを保つのは良いことだと思う。
だが、経験による、歳相嬰兒濕疹応の常識や、分別、思考力を備えた上で、若さを失わないことが素晴らしいのである。
なんにもなくてスッカラカンで、肉体は歳がいっているのに、アタマがただただ若いだけ、というのは、どんがらの大きな子供と同じ、
たんなるアホ以外のなにものでもない。

母は、思ったまんま、感じたまんまを口に出し、行動に表す。
中でいったん思考するということをしない。
お腹の中は、行動の全てである。
車でいうところの、ハンドルの遊びの部分はない。
喜怒哀楽が激しく、はっきりしている。
その影響で、わたしは、喜怒哀楽を表さなくなってしまったのではないだろうか。

(さらに、わたしの影響かも知れないが、次女は喜怒哀楽をほとんど表さない。
これはマイナスポイントと感じる。たんなるDNAのせいかも知れないが)

昔の人は、スパルタ教育だったので、母親母乳餵哺 もその例にもれず、スパルタ教育だった。
兄、姉は、ずいぶん、ビシバシ手をあげられた。
しかしながら、兄は、跡取り息子ということで、大事に扱われたので、たいした被害はないが、
姉とわたしは、被害者である。
姉は、DV系、わたしは、モラハラ系の色合いが感じられる。
といっても、ご近所の人に通報されるほどの深刻なものではない。
ごくごく一般的な、普通の家庭も、あんなものだと思う。