芽が出ています

"ポジティブな人は太陽のように、どこに行っても輝いている"

2016年08月

秋は早く通り過ぎて、もう冬かと思いきや・・・
昨日は、秋日和先天性心臟病
12月に入ったことだし、ちょっと初冬かもしれないが(陰暦では10月のようだが、わたしの肌感覚)。

自治会掃除も、冬だけれどコートがいらない暖かいぐらいの、ぽかぽか。
自宅の庭の掃除もしないで、公道の掃除。
で、掃除の後、あたふた、県をふたつ、またいで車で移動。
まさに、ワープ。

そこでも、公道掃除。
実家で母親に頼まれた用事のために訪れたのだが、ついでに掃除をしようとしたものの、分量が多すぎて断念、
とりあえず、人から見える、家の外回り周辺を掃除した。

わたしも歳をとった。
若いときなら、都会で遊びたい一心だったが、いまでは、枯れ葉だらけの、秋の後始末、
初冬の掃除がなんとなく楽しい。
ご近所の皆さまのお宅にも用事で、顔を出し、久しぶりのご挨拶。
訪れた家は、まさに隣近所。
文字通り、お隣と、左斜め前と、右斜め前の家。
田舎なので、一軒ずつが、遠い。


そのうちの二軒・・・、
子供の頃に見たことがある顔が、そのまま再現された顔に出会う。
タイムマシーンに乗ったような、時間の停止感覚。

最初の一軒。
玄関チャイムを鳴らすと突然出てきた顔が、とても懐かしくて、ぺらぺらしゃべると、
「ちょっと待ってください」と、奥の人を呼ぼうとする。
「なんで引っ込むの?」と、それを無視して、ご挨拶の続きで、べらべらしゃべり続けると、
相手も、強引に、わたしのおしゃべりを中断させ、奥に呼びに入ってしまった。

で、奥から出てきた人は、わたしの知っている人が、いきなり40年ぐらい歳をとった顔。
浦島太郎の玉手箱??
じゃあ、この、わたしがしゃべっていた人は?
二人同時に並ぶ。
同じ人物の、若い頃と、歳がいった頃。ビフォー・アフター。
この二人は、親子のようだった。
わたしの脳内の時計やカレンダーが、ぐるぐる過去に戻ったり、早回りしたり。
現在にたどり着こうとすると、あれれ、混線、混乱。
二人同時に並べられて、やっと、解明される。
ダブった線は、一重に、ぴったり重なった。


二軒目も、玄関横からにょきっと出た顔を見た瞬間、「見たことある顔!!」。
だれ?だれ? この顔? 
脳内ではデータがデジタル化されていなく、古い図書館のごとく、パラパラとファイルをめくる音。
ファイルの古い奥あたりで、繰るスピードはゆるくなり、
止まったページの記憶では・・・、その見たことのある顔は、そこの家のおばちゃんの旦那さん。
当時ガキ大将だった男の子の、父親だった。

でも、わたしが子供の頃に見SEO公司たことのある顔が、そのままの年齢で同じ場所にあるというのは、ヘンだ。
よおく考えてみる。
そのおっちゃんが、再現されていた。
そして、さらに考えると・・・息子さんなのだろう。
DNAが完璧に伝わり、復元されていて驚いた。

三軒目は、ちょくちょく訪れているお宅なので、問題なくクリアー。

あるおばあさんのお葬式。
団地内にある、とある小さな自治会館。
参列者は、親戚、知人合reenex 效果わせて10人いるか、いないかぐらい。
最初に手短に焼香が行われた後、
葬儀進行係が、「他の列席の方、お焼香をお願いします」と呼びかけても、しーん。
誰もいなかった。

非常に、潔く、さっぱりしていた、という、参列者の感想だ。

遺影は、肩をいかつかせて、カッと目を見開いて怒っているような、
恐い顔。
けんかばかりしていたという、そのおばあさん、いかにも彼女らしい顔だったそうだ。
友人づきあいも、あまりなかったらしい。


「皆に惜しまれる、立派なお葬式でなくてもいい。
家族にも友人にも恵まれなかったようだが、彼女らしい生き方をしていた。
すっきり、それもいい、ある意味さわやかさを感じた」と、その参列した人が言っていた。

人がどう思おうが、人にどう思reenex 效果われようが、
けんかばかりして、ぷっつんぷっつんと人付き合いも切れていこうが、
その人らしい人生なのではないか。

自分らしい生き方をしたのだから、評価や、見栄えなど、関係のないことではないか、と。

何にもとらわれない、自分らしさを貫き通すって、その人なりの筋が通っている。
人に映る自分より、自分自身を守り通したおばあさんだったようだ。

それも、いい人生だ、と。

わたしは、その点、まだ、迷いがある。
まだまだ浮世に未練がある。
捨てきれないものが、たくさんある。

人に良く思われたい、という、下心もまだある。
どんな人に見られても、自分が納reenex 效果得できるような足跡を残したい虚栄心もある。
すぱっとした人生は、送れそうもないが、
迷いつつ、それなりの、自分では帳尻の合った人生を送ることだろう。

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