2016年07月

20160318006

去年、亡くなった、わたしと、とても近しい間柄の人(同年代女性)。
ブログをお持ちである。

亡くなる少し前に、そのブログの存在を明かしてくれた。
わたしのブログより、前から続いている、
実写画像をふんだんに貼り、作り事はいっさい無い、きっちりしたレポート色のあるものである。

その人が亡くなった今も、ときどき、そのブログに訪れる。
その人が亡くなる2週間前から、更新はストップし、それ以後は(ご本人によって)更新されることは、決してない。

とても近しい間柄なだけに、どきっとする内容に、ふいに触れると、面食らう。
人の日記は、やはり読むものではないと感じる一瞬である。

ご本人がいない今、複雑な気持ちになる。

が、知ることは、良いことばかりではない。
知らなかったほうが良いこともある。
自分の知っていることだけを知っているほうが良い場合もあり、その段階をあえて超えない選択もある。
知らないことを新たに加えるのは、ハイリスクである。

もちろん、絶句するほど素晴らしい真実が隠されていて、それを今まで知らなかったことに対する後悔もあるだろう。
よくぞ、真実を見つけ出してきたことだと、絶賛するだろう。
が、その逆もある。
知らなければよかったことも、必ずあるはずだ。
プラスとマイナスは、セットになっていて、良いほうだけを切り取って持ち込むことは出来ない。
自分が気分を害したり、憂鬱になる可能性があるというリスクを承知のうえで、
人の深部に入り込むには、自己責任的な覚悟が必要だ。

そう考えると、もう、この世にいない人とは、関係を改善、修復はできないので、
美しい思い出だけを残しておくほうが賢明かと思う。
知らない、もっともっと美しい思い出をさらに知るプラス面よりも、
知らないほうがよかった負の面を知るマイナスのほうが、わたしには大きい。

あまり人の内部には入り込まないほうがよい。
なにごとも、距離はほどほどがよい。

大きな良い面を求めるより、マイナス面を知らないほうが、ダメージが少ない。
ローリスク、ローリターン。守りの境地である。
一攫千金を夢見るかのごとく、ギャンブル的な気持ちはない。
なにもない、平和な一日が過ごせればよい。


わたしは生の世界は、リタイアしたいようだ。
熟成された、美味しい干物になりたい。

有害な化学物質が空気中に飛散する
近年の地球環境に身を置き、知らず知らず蝕まれているからか、
早めに干からびようとしているのか。

あああ、わたしの年齢では、もう完全に30年は早い心境である。

 

20160318006

わたし・・・最近、毒が、なくなりつつある。
かわりに台頭してきているのは、ボケ。

このボケの恐怖は、毒など吹っ飛劉芷欣醫生んでしまう。
蝶ブログをお読みになる方にとっては、面白みに欠けることであろう。

毒に冒されて、ボケになるならまだ悲劇っぽくてナンなのだが、
ボケてきて、毒が効かなくなっている。弱い。毒が蔓延しない。

そして、「許せないコト」が、「なんだかどうでもいいコト」になってしまう。
ま、いいか~。どうせ、わたしも、ぼけぼけっとしてることだし~、と。


人格や性格が丸くなることは、悪いことではない。
と、嘆いているばかりではないのだが、代わりに、新たな毒が、外から押し寄せてくる。

「おかあさん、なんも考えてないね」
「自分で、なにかしようと思ったこと、あるの?」
うんぬん、かんぬん。
(これ、お任せ気分の旅行中に言われたこと。でも、いつも、だいたいこんなもの)
その天然、どうにかしてよ、とばかりに責實德好唔好めて来る長女。

わたしは、そんな高度な、高尚な、ハイレベルのことを目標にはしていない。
もはや、「天然」を通り越して、「老化」の域に達している。
したがって、なにを言われても全く馬耳東風なのだが、
恐ろしいのは、記憶が抜け落ちることである。

目立って自覚症状として悩ましいのは、モノを置いた場所を忘れること。

以前は、背筋に冷たいものがサーっと降りてきたが、
今は慣れっこになってしまって、ああ、またか、と、余裕の自己対策までも確立している。

「落ち着け、落ち着け。
今は、焦っているから思い出せないだけ。
時間がたてば、思い出すに決まっている」

ここに無ければ、あそこ。あそこに無ければ、次のとこ。
次から次へと見つからないと、いったん、脳の電源を切る。
時間をおいて、一番初めに探してみて見つからなかった場所に、もう一度、戻り、一から探すと、見つかることがある。
焦ると、集中力を欠くようだ。
脳の解析機能が劣化し、著しく容量低下。回路は、すぐヒートアップして、システムダウン。
あぷあぷ。わあわあ。


我が母、人生の大先輩。
今、わたしのボケの大先輩となっている。
DNA的側面から見ても、もともと、母もわたしも、あまり賢い頭脳の持ち主ではない。
ボケは特に遺伝的要素、大で、恐怖である。

次女に言わせると、
「おばあちゃんは、おかあさんの30年先。おかあさんは、わたし(次女)の30年先」

みんな同じこと。時間をスライドさせると、通る道。
・・・なんだけど、90歳でもシャキシャキ、バリバリの、かくしゃくとした人もいる。
まあ、年齢がそう高くなくても、逆の場合もある。
個人差があるということだ。

 

ボケと、毒、どっちがマシ?
う~ん・・・辛い選択肢である。

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母は、楽天家で、激情型、感覚派人間である。

「おかあちゃんは、18歳から歳を取らへんねん」
とずっと、母はそう言っていた。

わたしが、18歳を超え、大人になって母を見迪士尼美語 價格ると、ほんとうに18歳でアタマがストップしていた。

良く言えば、天真爛漫、子供のよう。
悪く言えば、考えなし。自分のことだけしか見えない。

親は「手本」である必要はなく、「見本」であればよい。
この、わかりやすい「見本」に、我々家族は、悩まされ続けたことだろう。
姉の結婚の時に色々あって、母は18歳から少し精神年齢は否応なくアップさせられたようだが。

70歳を超えた、ある日、母は言った。
「おかあちゃん、このごろ、顔にシワが出てきたわ。どうしよう・・・」

わたしは、この言葉を聞いて、一瞬、言葉を失った。
自分をいくつだと思っているのだろう? この人は。
れっきとした、堂々の老女なのに。


人間の年齢と肉体、頭脳、精神は、それぞれリンクしているものである。
心身共に、若さを保つのは良いことだと思う。
だが、経験による、歳相嬰兒濕疹応の常識や、分別、思考力を備えた上で、若さを失わないことが素晴らしいのである。
なんにもなくてスッカラカンで、肉体は歳がいっているのに、アタマがただただ若いだけ、というのは、どんがらの大きな子供と同じ、
たんなるアホ以外のなにものでもない。

母は、思ったまんま、感じたまんまを口に出し、行動に表す。
中でいったん思考するということをしない。
お腹の中は、行動の全てである。
車でいうところの、ハンドルの遊びの部分はない。
喜怒哀楽が激しく、はっきりしている。
その影響で、わたしは、喜怒哀楽を表さなくなってしまったのではないだろうか。

(さらに、わたしの影響かも知れないが、次女は喜怒哀楽をほとんど表さない。
これはマイナスポイントと感じる。たんなるDNAのせいかも知れないが)

昔の人は、スパルタ教育だったので、母親母乳餵哺 もその例にもれず、スパルタ教育だった。
兄、姉は、ずいぶん、ビシバシ手をあげられた。
しかしながら、兄は、跡取り息子ということで、大事に扱われたので、たいした被害はないが、
姉とわたしは、被害者である。
姉は、DV系、わたしは、モラハラ系の色合いが感じられる。
といっても、ご近所の人に通報されるほどの深刻なものではない。
ごくごく一般的な、普通の家庭も、あんなものだと思う。

馴染みの床屋を替えるのは勇気がいる。しかし、床屋のオヤジはムッラケがあるようで、替えざるえないことが起こってしまう。

こ こに移り住んでから、20年以上馴染みの床屋があった。ところが、ある日、床屋のオヤジが私の予約の時間に帰って来ない。奥さんが、Mさんが待っているか ら帰って来るようにと、奥で電話しているのが聴こえる。ほっそりして美人の奥さんの話では、悪い女に引っかかって、その悪い女のところから帰って来なく なったそうだ。どんな悪い女か私にはわからないが、ほどなく店は閉まってしまった。

次に見つけた床 屋のオヤジはこの土地の生まれだった。話嬰兒濕疹好きで、ハサミを動かしながら、昭和の時代は靴も買えないほど貧しかったこの土地の人が、土地成金になって、成功 した人、身を崩した人など、土地の歴史を詳しく解説してくれる。それが、ある日行ったら店も家も閉まっているではないか。そう言えば、「床屋なんて やっ ていられないよ、この土地と家を売って、小さなマンションを買って、余ったお金で…」と言っていた。実行したらしい。身を崩していないこを願っている。

それから、何軒か行った。基本料金が高いのに、さらにオプションメニューのマッサージを勧められたりとか、もう近くには行ける床屋がなくなった。

そしてついに、10分仕上がり、1000円カットの床屋です。だいたい私の頭なんて、10分でカットできるの程度のもので、時間をかけても仕上がりに大差があるはずがない。もっと早く来れば良かったと反省している。

そう言いながらも少し不安は牛奶敏感ある。カットする人を指名できない。それに人の入れ替わりが激しいようだ。だからリスク回避のために、少し長めにカットしてもらう。

1000円カットで気づいたことは、うまい人ほど速い。ハサミにリズムがある。今日の人は初めて見る人だった。目を閉じていると、いやにハサミが慎重である。目を開けて鏡を見るのが怖くなっている。

キラ星の如く人材が輝く『篤姫』の時代願景村 探索四十、幕末・維新の人々をエニアグラムで。
史実を基にした小説やドラマに描かれた、あくまでもイメージに過ぎません。
現実のタイプは、ご本人にしか分かりませんので。


タイプ1(完璧主義)・・・・・ 大久保利通 滝山

タイプ2(愛情豊か)・・・・・ 西郷隆盛 徳川家茂 阿部正弘

タイプ3(やり手・成功主義)・・・・・ 岩倉具視 勝海舟

タイプ4(芸術肌)・・・・・ 土方歳三 桂小五郎 徳川慶喜

タイプ5(思考観察好き)・・・・ 大村益次郎 小松帯刀 島津斉彬

タイプ6(忠実)・・・・・ 島津久光 篤姫

タイプ7(楽天的明るさ)・・・・・ 沖田総司 高杉晋作

タイプ8(好戦的・強い)・・・・・ 井伊直弼 山内容堂 

タイプ9(平和・調和主義)・・・・・ 坂本龍探索四十洗腦馬 近藤勇


小松帯刀は、タイプ4寄りのタイプ5。
大村益次郎は、典型的タイプ5ど真ん中。
島津斉彬は、タイプ6寄りのタイプ5。

篤姫は、極めてタイプ5に近いタイプ6。
高杉晋作は、タイプ8に近いタイプ7のような気がします。

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